THE PERSON
-登場人物の紹介

第3回目のお客様


時計・宝飾
株式会社 ヒラノ

ディレクター


平野明良様

Akira Hirano
1961年名古屋生まれ

 

聞き手


株式会社石国

代表取締役 社長

東京美装商工業協同組合 理事長


石田国久

Ishida Kunihisa
1966年東京生まれ

まえがき

本日お相手をして頂くのは、全国に機械式時計専門店が多々ある中で、他に類を見ない時計店を営まれている「時計・宝飾 ヒラノ」の平野明良さまです。
弟の平野孝明さま、お母様の三名でお店を守られています。
時計専門店のあるべき姿を探求し続け、店舗のある名古屋地域のみならず、全国に顧客を持たれております。有名時計師が来日した際、わざわざ寄って行かれるお店「時計・宝飾 ヒラノ」。

そのスイスとのパイプは何処から生まれたのか―

専門店のあるべき姿とは何か―

お客様をそこまで熱中させるものとは何か―

時計をこよなく愛する人にとっての時計ベルトの位置づけとは―

たっぷりと聞いていきたいと思います。


はじめに

(石田)本日はお時間を頂戴いたしまして誠にありがとうございます。時計ベルトの世界をより多くの人々に知って頂きたく、お話をお伺いできればと思っております。
よろしくお願い致します。

(平野)よろしくお願いします。


「時計・宝飾 ヒラノ」について ≪普通の時計屋だと思っている≫

(石田)創業はいつ頃ですか。

(平野)1915年に祖父が栄(名古屋)に「平野時計舗」を出したのが始まりのようです。その後戦争で一旦お店を休止しましたが、戦後、再開しました。

(石田)当社も1920年に祖父が創業し、戦争で一時休止し、戦後再開しました。似たような境遇ですね。さて、「平野時計舗」が再開したころは、機械式時計専門店ではなく普通の時計屋だったのですか。

(平野)今でも普通の時計屋だと思っているのですが、当時は商品も限られていたのでセイコー等の手に入る時計で商っていたようです。

(石田)この店を普通の時計屋と言ってしまうと、他の時計屋が全て特殊な時計屋になってしまうので、「ヒラノ」は特殊な時計屋であるとしておきますが、いつ頃から、この様なお店になったのですか。

(平野)何か転機があってこの様な店になったのではなく、徐々にこの様な店に変化したのだと思います。
当時は高度成長期ということもあり、休暇や休憩時間があまりなく、買い物に時間を割けないということで、すごく活況であったようです。

(石田)当社もその時代は各企業や自衛隊などに入っているお店にベルトを納めていたようです。
その様なお店から、今のお店になったのはどの様な経緯なのでしょうか。

(平野)機械式時計が好きだったからでしょう。私たち兄弟がお店を手伝い始めた頃は、扱っていた時計のほとんどがクォーツ時計でした。子供のころ、お店の修理工房に出入りしていたのでゼンマイで動く時計に興味があり、機械式時計を探し、取り揃えるうちにこの様な店になったのだと思います。

(石田)機械式時計に興味があったのでバーゼルに行くようになったのですか。

(平野)バーゼルへは父が輸入商社さんのツアーで行っておりました。ある年に弟が行ったところ時計ブランドの多さと展示方法に感動して帰ってきました。弟が店に入ってからバーゼルフェアをゆっくり廻る為に個人でゆっくり出掛けるようになりました。

(石田)バーゼルの独立時計師のコーナーに行くようになったのもお父様の頃からですか。

(平野)弟が行くようになってからです。独立時計師の存在を知り、そのブースを訪ねてみました。
当時はフランク・ミュラーなどがメゾンではなく、時計師として展示をしていた頃です。

(石田)バーゼルでお付き合いを始めたブランドはフランク・ミュラーが最初ですか。

(平野)ビンセントカラブレーゼです。機構も面白く、人も良く、値段も手ごろで、これは是非取り扱いたいと思いました。
アントワーヌ・プレジウソもその頃からです。

(石田)そこからスイスとのパイプが太くなってきたのですね。

(平野)それまでは、有名ブランドの時計を商社さんから紹介され、取り扱いましたが、小さな会社で素晴らしい時計を作る人たちと直接やりとりできる事はスイスとの距離をとっても短く感じるようになりました。スイスでもあまり知られていない時計会社が成長し、有名ブランドとなりそれを取り扱っていた私どもにも信用ができたのか、多くのオファーを頂けるようになりました。


平野明良について ≪人と人とのつながりの中で商売というものがある≫

(石田)平野さんは時計販売をする前は何をしていたのですか。

(平野)ヒコ・みづのジュエリーカレッジで勉強し、店に戻ってきました。

(石田)まだ、ウォッチコースがなかったころですか。

(平野)そうです。原宿に校舎がひとつしかなかったころです。

(石田)私も2002年にヒコ・みづのジュエリーカレッジのウォッチメーカーコースに通いました。当時は昼のコースはなく、夜のキャリアコースのみで1年で卒業でした。ヒコ・みづのの大先輩になるのですね。

(平野)どこかの大学に行って、ブラブラするぐらいなら、ジュエリーカレッジに行けと父に言われて。

(石田)では、宝飾をお店で扱っていた頃もあったのですか。

(平野)今でも扱っています。一品ごとに私が絵を書いて、お作りしています。専門学校のデザイン講師もしておりました。

(石田)知る人ぞ知るというアイテムですね。口コミでしか広がらない商品ですね。

(平野)そうですね。お客様のお話をじっくり聞きながら作らせていただいております。大通りに面していないこの場所は最適です。日曜営業は混雑してしまうので、お休みにしています。良いものをしっかり紹介して楽しいひと時の中でお選びいただきたいですね。

(石田)いつ頃からこのような考え方が身についたのですか。

(平野)祖父の時代からこの様な考え方で商売をしていたので、そんな祖父の影響を受けた父を見ていて、いつの間にかそういう考え方をするようになったのだと思います。

(石田)自然体なのですね。

(平野)本当にシンプルだと思います。私共は会社ではなく商店だと思っております。商店主が自ら良いと思ったものをお客様に直接ご紹介し、お客様のご意見を聞き、更に喜んでいただけるような商品を吟味し提供する。
大きな会社では味わう事の出来ない素晴らしさが商店にはあります。

(石田)耳が痛いですね。実は当社の社名は父の時代は「石國商店」だったのですが、私が社長になるときに商店を取ってしまって「石国」に変えてしまったのです。当時は商店という型に嵌らず、色々なことにチャレンジしようという思いがあったのですが、お客様に正面から向き合うという意味で「商店」を復活させた方がいいかなあと話を聞いていて思ってしまいました。


接客について ≪「自分たちはプロなのだ」というところを見せないといけない≫

(石田)平野さんは時計を売るときに、性能、物語、正規品の優位性等をしっかりとお話されていますが、時計を販売するに当たりどの程度までの知識、技量が必要と考えていますか。

(平野)お客様の期待を越えなければいけない。知識においてお客様の方が上に立ってしまったら販売員の意味はないのです。販売員は、プロ意識を持ち、お客様の期待以上の情報を提供しなければ感動して頂けません。もちろん、年齢や性別を考慮しお伝えすべきこと、そうではないことを考えなければなりません。お店では時計が主役、いかにスポットを当てるかは私たちの役目です。

(石田)その通りですね。さらに、物語を語るときは映画のワンシーンを見るように語りますが

(平野)永年のスイスとの親交によって、この時計は誰が係わって、誰が設計して、誰が作っているというところまで掘り下げることが出来るので、ワンシーンの様な感じがするのかもしれませんね。



時計ベルトについて ≪ベルトによって時計に愛着を持ってもらえる≫

(石田)そこまでブランドのことに造詣が深い平野さんにとってベルトの交換はどの様にお考えですか。

(平野)時計メーカーのベルトも当然いいのですが「時計のベルトが傷みました」と来店されたお客様に、私は「ご自身で時計に個性を与えてみませんか」と伝えています。「自分で作った方が面白いベルトが出来ますよ」と。じっくりと話をしながら、お客様自身にベルト作りを楽しんでもらおうと考えています。ですから、ベルト一本作るのに1時間は費やします。

(石田)ベルト作りを楽しんでもらうという発想は素敵ですね。

(平野)ベルト作りを楽しんでもらうだけではなく、ご自身が作ったベルトで時計を飾ってあげると、その時計により愛着が湧くじゃないですか。「これはおれが作ったベルトなんだよ」と思って時計を見てもらったら楽しいじゃないですか。

(石田)なるほど。作ってあげたのではなく、お客様自身に作ってもらうという考え方ですね。

(平野)ベルトによって時計により愛着を持ってもらえたら、今度は時計のこんな表情が見たいからこの様なベルトにしようとか、時計の楽しみ方がとっても広がると思うのです。今回は思いきり派手にしましょうかとか、夏だからこんなのどうですかとか、沢山ご提案ができる商材だと思います。ベルトは。

(石田)プロとしてのご提案はするけれど、あくまでもお客様自身がチョイスして作り上げるということですね。あくまでもお手伝いをしていると。

(平野)そうです。「平野さんに選んでもらった」ではなく、「自分で作った」と思ってもらいたい。その為にかゆいところに手が届くようなアドバイスをしっかりとしています。

(石田)私はてっきり平野さんにベルトをチョイスしてもらいたくてお客様が多数ご来店しているのだと思っていました。実際は、自分で作るためにアドバイスが欲しくて来店されているのですね。

(平野)ベルトが出来上がってきたときに、やっぱりこれでよかったと思ってもらえるように、アドバイスし、お客様にベルトを作ってもらっています。


おわりに

(石田)最後になりますが、石国にエールを頂ければと思います。

(平野)私がお客様にベルトをしっかりとお薦め出来るのは、石国さんのようなイメージ通りにちゃんと作って頂けるベルトメーカーが存在しているからです。洋服を作るのも、靴を作るのも、職人さんが主導かもしれませんが、お客様の意見をどこまで汲み取れるかが大切です。その点で非常に良い仕事をされていると思います。後は、新しい素材や新しい製法を産み出して頂いて、ご提案できる幅を広げて頂けたらと思います。

(石田)お褒めの言葉を頂きましてありがとうございます。新しい素材や新しい製法、がんばって産み出して行きたいと思います。本日はありがとうございました。





編集後記

時計の話をされているとき、目が輝いていて、本当に楽しそうに話される方でした。平野さん自身から醸し出される素敵なセンスが店全体に染みているようでした。私自身もこの人から時計を買いたいと思ってしまいました。


「ヒラノ」というお店が他店と差別化されることになったきっかけをお伺いしたかったのですが、残念ながら大きな事件や大きな方向転換や決断があったわけではありませんでした。市場を分析することも、ライバル店の存在もありませんでした。お店の独自色を出すために何をするかという考え方ではなく、自分の好きなこと、自分のプロとしての意識、自分の考える商売のあるべき姿を追求して行ったらいつの間にか他店と違う店ができていたということでした。


最初から最後まで「特殊な店ではない」「普通の時計屋だよ」と言い続けていた平野さん。理由がわかった様な気がします。平野さんの考える普通の店を追い求めていったら、今の「ヒラノ」が出来上がったということでした。当然平野さんにとっては普通の店なのですね。


お客様を、そして時計自信を楽しませ続ける「時計・宝飾 ヒラノ」がある限り、私たちも精一杯ベルト作りに邁進したいと思います。平野さん、素敵な時間を共有させて頂きありがとうございました。

今後も様々な人に「時計ベルト」をテーマに話を聞きに行こうと思います。是非、ご期待ください。また、私と「時計ベルト」をテーマに話しがしてみたい方がいらっしゃいましたら、当ホームページのお問い合わせまでご連絡ください。